Hair Salon Nagasawa.
2005年 5月28日

1903〜1921 アメリカ全土を走る車がわずか4000台という20世紀の夜明け、自分たちの力でモーターサイクル
を創り出そうと考えた3人の若者がいた。あり合わせの材料を工夫し、内燃機関や車体について独学で学び数
年の試行錯誤を経てその鉄の馬は走り始めた。世紀を駆けるハーレー・ダビッドソンの誕生です。アメリカ北東
部に広がる五大湖のひとつミシガン湖西岸の街ミルウォーキー、ハーレー・ダビッドソンの故郷はこの地にあり
ます。1926年に建てられた赤い煉瓦づくりの本社ビルはいまやアメリカの歴史的保存物に指定されています。
ハーレーの一号車が誕生した例の木造の小さな工場はいまミラービール本社が建っています。1903年ダビッド
ソン兄弟の父親が建ててくれた14平方メートル弱の工場で、ウィリアム・s・ハーレーが設計し、その友人のアー
サー・ダビッドソンが鋳型を作り、ウォルター・ダビッドソンが組み立てを担当して週末と夜毎の作業で創り上げ
た最初の”鉄の馬”が苦心の果てに誕生しました。
この一号車は自転車に似たフレームにド・ディオン式エンジンに範をとった手製のひょろ長い単気筒エンジンで出力は3馬力の409ccでした。3人の創造主の名前をとってその”鉄の馬”はハーレー・ダビッドソンと命名されました。なぜ3人なのかと言うとダビッドソン兄弟の長兄であるウィリアム・A・ダビッドソンが加わるのは1907年から1885年ゴットリーブ・ダイムラー「独」が世界初のモーターサイクル「250cc」を発明し、同じ年にカール・ベンツも2サイクル880ccエンジン搭載の3輪自動車を発明して、それから18年後アメリカで産声を上げた鉄馬、その時代アメリカの人口が7600万人まだ乗り物は馬とロバしかない、この時代にライト兄弟がキティホークで世界最初の動力式飛行機によるフライトに成功し、またのちの自動車王ヘンリー・フォードがフォード社を設立し、まさにモータリゼーションの世紀の幕開けにふさはしい出来事に彩られた1903年でした。そして第一号車を見た友人が自分のためにと新しい一台を注文したことから、翌年には改良された2台が生産さ
れ1904年モデルはフレームを黒く塗り、叔母のジャネット・ダビッドソンが手描きした赤いストライプとHARLEY−DAVIDSONのロゴが燃料タンクにいれられました。1905年には8台生産されましたが3人は今の仕事を辞めてまでモーターサイクルを本業とはしませんでした。しかし1906年4馬力、排気量を575ccにアップすると売れ始め、従業員を雇いこの年50台が生産され、3人はハーレーの生産を仕事とすることにしました。この年作られたハーレーは色をグレーとしてサイレント・グレー・フェロー「静かなグレーの仲間」と呼ばれ、のちのハーレー社の発展の礎を築くこととなります。1907年サイレント・グレー・フェローは150台創られ、ダビッドソン兄弟の長兄が加わり、新型車は前輪にスプリングが付き、高い悪路走破性を持つと言う画期的なデザインでさらにハーレーの名声を高めました。技術力と製品に自信をもった4人はこの年、1907年に正式にHARLEY−DAVIDSON MOTOR COMPANYを創立したのです。この頃の日本では日露戦争勃発、東京における自動車保有台数16台、国産ガソリン車1号「タクリー号」誕生。英国ではロールスロイスの1号車が誕生しています。
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