Hair Salon Nagasawa.
2006  2月15日
伝説
バイクについて聞かれて、あなたにとって「特に印象深い思い出」は何かを尋ねられたら、ヤッパリ父親のバイクに初めて乗せてもらった時の事と答えるでしょう。ホンダの250に乗っていたと記憶していますが、あの時のあの開放感は本当に素晴らしかった。自分はまだ5〜6歳だったと思いますが確かに風になり自由と自立を感じたような瞬間でした。自分の子供は今5歳ですが、今年あたり乗せてあげたいと思っています。子供が大きくなって誰かに、あなたにとって「特に印象深い思い出」はと聞かれて,初めて父親のバイクに乗せてもらった時と答えてくれたら最高ですね!今日もどこかで、誰かがハーレーの後ろに子供を初めて乗せて走っているとしたら、ハーレーの伝説は世代を超えて受け継がれていくことになるんですね。あなたもその一部であり、私も自分がそうであることを誇りに思います。
表現
新しいバイクを手入れると、まず個性化を図りますよね。つまり自分好みにカスタムする。それがハーレー・ダビッドソンの魅力であり、自分に限らず工場出荷標準仕様のまま乗られるバイクはほとんどないと思います。ライダーは各々のセンスや個性によって様々な手を加えていきます。これまでにいくつかのモーターサイクルのイベントに参加しましたが自分の好きなことは、ただ歩き回ってみんなのバイクを見てまわることです。シンプルなものから、かなり手の入ったものまで全てのハーレーはオーナーにとって自己流による芸術品なんですね。だから車両を見ると、そのオーナーがどんな人なのか分かるような気がします。個性の表現はバイクにとどまらず、服装、ピンやワッペン、身につけるアクセサリーやタトゥーなど多岐にわたります。全てのハーレーライダーは表現の自由を謳歌して、堂々と、誇り高く、満ちたりた表情で道を走っています。もちろん世の中にはこれを理解できない人もいますが、皆ハーレー乗りの人は個々が自分流に存在し、我々一人一人が自分流の芸術品なんだな〜と・・・。やはりハーレーはこのような存在であり続けるべきだと思います。
ホグ=「H.O.G.」
ハーレー・ダビッドソン社の歴史によりますと、「ホグ=H.O.G.」という言い回しが使われ始めたのは1920年前半で、当時活躍したレーサー、レイ・ウイッシャーのマスコットが小さなブタで、彼が素晴らしい戦績を収めるにつれファンは彼やチームを「hogs (ブタ)」という愛称で呼び始めたのが基となり、ハーレー・ダビッドソンのニックネイムになったそうです。1983年にハーレーオーナーの組織を立ち上げる際も、「Harley Owners Group」(ハーレーオーナーズグループ)という頭文字は、ごく必然的にチョイスされたんですね。
ウォルター・ダビッドソン
1916年5月18日の二輪雑誌「Motor Cycle IIIustrated」でハーレー・ダビッドソンの社長、ウォルター・ダビッドソンが特集記事になっています。見出しは「常に正しい成果を導くウォルター」。1876年生まれの彼は1942年に没するまで、文字通りハーレーに人生を捧げた男でした。ウォルターが初めて自転車を買ったのは1893年で中古の自転車を35ドルで購入し、ロードレースに参加しました。母親いわく、「いつも台所で自転車を分解整備していた。」ようです。元々彼は電気に強い興味を持っており、家中のモノを電化せずにいられない性格だったようで、ウォルターは配線関連の仕事を始めとして、メカニックとして様々な会社で働き、1901年には鉄道関係の会社にいましたが、当時既にアーサー・ダビッドソンとウィリアム・ハーレーがモーターサイクルを開発中で1903年、ウィリアム・ダビッドソンの結婚を祝うためミルウォーキーに帰省することになりました。ウォルターは出発前に鉄道会社を辞め、そのままメカニックとして兄弟達のプロジェクトに参加する事にして、メカニックのエキスパートとしてウォルターは彼らのプロトタイプを遠慮なく批評し、こうしてダビッドソン家の裏庭に建てられた小さな小屋が本格的に稼動し始めると、ウォルターが新しいデザインやパターン設計を見るようになりました。ウォルターは記事中で1903年の生産は3台だったと述べています。シカゴのラング氏が1903年に製造された数の3分の一を買ってくれたそうで、要するに一台ってことなんだけど・・・
1908年ウォルター・ダビッドソンは当時の単気筒モデルで365マイル(584km)耐久レースに出場、見事優勝を果たしました。ベースモデル5はルノーグレーに深紅またはブラックのストライプで210ドルだったそうです。市場の注目を集め、1909年のベースモデル生産台数は864台に達しました。「モデル5」の由来は、H・Dの初号機生産は1903年で、当時は生産体制の整った1904年生産の車両を「モデル0」、初めてカタログが制作された1905年生産車を「モデル1」として以降1906年「モデル2」、1907年「モデル3」のように呼称してゆきました。つまり「モデル5」とは1909年モデルのことで、この呼称方法は1915年まで使用されていました。モデル5は優れた性能、新しいスタイルで社内的にも社外的にも業界基準となった素晴らしいモデルで、H・D社に大きな自信を与えると同時にマーケットの信頼を得ることに成功したモデルでした。この年には経営も順調になり、エンスージアスト文化も醸成され始めた年です。
今では有名な”バー&シールド”のロゴが1910年初めて使用され翌年アメリカの特許庁で商標登録されました

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