Hair Salon Nagasawa.
2006 7月28日
いや〜、な〜んか久しぶりのHARLEY Diaryのきがするな〜!そう言えばここのところ、霧、桐、切り、斬り、伐り、キリ、とまぁ〜きりの字を覚えるにはいい季節になりました!う〜、この書き出しは前に使ったような〜。と、そのぐらい久しぶりということか?えぇ〜で、結論から言いますと今は全然のれてましぇ〜ん( ̄− ̄!)天気予報を恨めしく見ています。梅雨あけが8月だと、その夏は冷夏になる確率が高いそうです、これでいくと冷夏でしょうか?零下、霊化、麗華、隷下、霊歌、麗香、0科、とレイカの字を覚えるのにいい季節になりましたって、え〜、チョッとまてよ〜次のH・Pで使うヤツを今、使っちまった〜。なん〜てフザケテないで真面目なことを書きたいと思います。走ることが出来ないのでHARLEY−DAVIDSONの知っている事を書いてみます。
ハーレーとともに歩み、バイク史に名前を刻んだ女性たちについて書いてみます。1910年代モーター・サイクルメーカーの広告に上品に着飾った女性が登場し、当時の最新モーター・サイクルの前でポーズをとっている。これらの広告用の写真やポスターはほとんど残っていないのですが語り継がれた話や雑誌、新聞の記事などで知っている方も多いのではないでしょうか。このように、1910年代にはすでに女性ライダーが男性と同じように週末に長距離ツーリングを楽しんでいたらしいです。1915年5月2日、エイビスとエフィ・ホチキスの母娘はニューヨークのブルックリンから西海岸へ往復の旅を目指してシュッパツ!「私達はただアメリカという国をもっと知りたかっただけ。ハーレー・ダビッドソンとそのサイドカーに荷物とパートナーとして母を乗せて走ることだけを考えていたわ」とコメント。ハーレー・ダビッドソンのディーラー誌は「彼女たちは肩をすくめるような悪路、暑さ、寒さ、大雨に立ち向かった」と伝えました。ヤッパリ長距離を走るといろんなトラブルがあり、タイヤのインナーチューブが尽きたときには、毛布をタイヤに詰めて、その場をしのいだりもしたとか。そしてシュッパツから約三ヶ月して二人のハーレー・ダビッドソンはサンフランシスコに到着,太平洋を臨む海岸でこの旅の成功を喜びあいました。こうして彼女たちはモーター・サイクルでアメリカを横断した初の女性ライダーとして名を刻み、その二ヶ月後、無事に自宅に到着してこの偉大な旅は幕を閉じたのであります。 この様にアメリカ大陸横断を成功させるなど時代とともにモーター・サイクルの魅力に取り付かれる女性が増えていきました。
  レースで名をあげたドロシー

1912年生まれのドロシー・ロッド・ロビンソンは16歳で父の経営するハーレー・ダビッドソンのディーラーで働き始め、1930年代五大湖地区で行なわれたレースに毎週末エントリーして100マイルレースで見事優勝しました。1937年には二日間行なわれる過酷な「ジャックパインレース」で準優勝を獲得!1940年代には彼女の名前は広く知れ渡っていました。そして世界初の女性だけのモーター・サイクル・クラブ、「モーター・メイド・クラブ」を立ち上げ、年間5000マイル、生涯で150万マイルを走破!1998年にアメリカン・モーター・サイクリスト協会から殿堂入りを認められた女性です。

  黒人女性ライダー

ベッシー・ストリングフィールドは1930年代ハーレー・ダビッドソンでアメリカ中を走り、そこで彼女が目の当たりにしたものは人種差別や性差別で「肌が黒いことで、ホテルを探すことすらままなりませんでした」と話しています。「私を救ってくれたのは、どこまでも続く道だった」と自分に言い聞かせるように走り続けたそうです。1990年にはアメリカン・モーター・サイクリスト協会から殿堂入りをはたし、死ぬまでに27台ものハーレー・ダビッドソンに乗り、晩年医者からもうハーレーに乗ることを止められましたが、「私がハーレーに乗らなくなったら、長くはいきられないはわ!」と乗ることを止めなかったそうです。このように、モーター・サイクルと歩んできた女性ライダーたちのストーリーにはハーレー・ダビッドソンの大きな魅力が存在していることは間違いないと思います。

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